一日今日もお稽古の日。
1人目、2人目、3人目とこつこつ教えて行くのだけれど、こうなるまでに本当に14年かかった。というお話。


はぁ〜疲れた! はぁ〜肩が凝る! 楽器を一日弾いていて得るよい疲労感。
教えながらよみがえった過去のこと。

音大を卒業して、同じ仲間は教授のそばを離れず、むしろあっさり実家に帰るワタシを「勇気あるよね。」とひと言。
人生の中でもっとも凝縮され鍛錬を積む4年間は、それ以下を考えられなくなってしまうほど、自分のレベルを下げるのは怖いのだ。
演奏の道へ。教える道へ。音大を卒業する時に目の前に現れる二つの道。ほとんどがバリバリ引き込んで来た4年間なので、そのまま自分が演奏して行けたらと誰もが思う。教授のそばにいれば、いつでも演奏の機会が与えられるし今のままの環境をつなげていける。
実家に帰るということは、巣立つという意味で去るものは追わず。暗黙の了解でだれも止めない。
大学にも、教授にも留まることは始めから考えていなかったワタシは仲間の「勇気あるよね。」の言葉の意味もわからなかった。
卒業してすぐ、実家のチチオヤのお箏の手伝いに入る。
自分の生徒さんなんて一人もいないわけで、一緒に合奏してあげり、たまに時間が詰まってきて待っている人が出たりすると代わりにお稽古してあげた。
お給料として、チチオヤからもらっていたお金も少なく。それでもお手伝いでそれだけもらっていればありがたかった。生徒さんがゼロのわたしには、本来食べていけるお金がないのだから。
ところが、これに加えて、親からこんな提案が出されて途方に暮れた。
「ひとりで生活しなさい。」「今もらっているお金で生活できるところに住んで自分でやりなさい」
鬼ぃぃぃぃぃぃ!!!!!!!!  ひどい・・・

ところが、この経験が本当に役に立った。人を教えること、そしてお月謝をもらう意味、そして自分の演奏。
ひとり生徒さんが出来れば、その人を本当に大切に教える。だって、やめられたら生活できない。
お月謝を頂くにも、本当にありがたいと思う。
もうひとり増やそうと、普段の演奏にも力が入る。ここへ習いに行って見たいと思うような演奏をしたい、そこから試行錯誤が始まる。
演奏会が増えて、自分を知ってもらえるようになるとそこに生徒さんが集まってくる。
演奏の道と教える道。大学卒業のときは2つに分かれている道だけど、実は演奏あっての生徒さん、生徒さんあっての演奏。二つの道は結局はひとつなのだ。
14年経って今はふたつをやれている。苦しいこともあったけれど、今ではこの地道な積み重ねが今の自分の仕事になっている。
そして、食べていけている(笑)