大学時代を思い出す

生徒さんとの会話で聞かれた。「音楽大学ってどんな勉強をするところなんですか?」
カノジョは助産師さん。ワタシがユイを生んだ病院で働いている。
聞かれて本当に久しぶりに思い返す大学時代。

この大学に入るために高校の3年間大阪に通わせてもらった。週に1度のレッスンは5.6時間目の授業を休んで新幹線で大阪まで。
いつも教授の自宅の門の前で息を呑んでいたことを思い出す。内弟子さんが出てきてしばらく待たされる。この間も息を呑んでいた。
レッスンが終ると近くのマックにひとりで入ってポテトのLを頼んでドカ食いしてた。極度の緊張から解き放たれたのとかなりのストレスで。
受験はワタシが受けた時がピークで、倍率は6倍。そこにワタシが入った。
でも、入ってからは当然きつかった。
大学2年になった時1度だけ親に「やめて帰りたい」と言ったことがある。でも、チチオヤに「あと残り2年。人生の中からしたらたったの2年だから耐えろ」って。鬼だと思った。
いくら自分が上手く行った!と思えた演奏でもけなされた。
本番3日前なのにソロパートを当てられて暗譜させられた。これを見ていた後輩が「それは無茶苦茶だろう・・・」と思っていたが、悔しさのあまり完璧にしていったら後輩が驚いていた。
競争社会と逆境。初めて味わう辛さ。根性が曲がらない限り耐えられない環境。ライバル視されるのも疲れ、目標も作りたくない、ただひたすら自分との戦い。大げさなようだけど本当に自分をしっかり持っていないと崩れてしまいそうなところだった。
いろいろな縦社会も学んだ。伝統文化の中身も見た。4年間学友とバリバリ演奏し、常に10曲以上曲を持っていた。
朝8時〜夜10時まで毎日練習した。バイト?する時間がなく、4年になってやっと外の社会を学んだ。
と話しているうちに切なくなった。

本当に大変だったんだ。今はこれがあったこそいろいろな仕事も請けられて演奏活動もやれるのだ。といい思い出になってしまっているけど、実は本当に大変だったんだ。

こういう話も思えば人に話したことがなかった。
でも、本当にこの経験がワタシの土台。
唯一救われたのは教授が卒業式に言った言葉。「あなたが一番上手かった」