阪神大震災から17年、とテレビから聞こえてきてびっくり。もうそんなに経つんだね。
ワタシもそのときは大阪にいた。大学4年生。阪神高速が崩れたり、阪急宝塚沿線が壊れた近くにワタシも住んでいた。
寮は一部屋4畳半の狭いところだったが、あの朝、廊下に後輩先輩みんなが出てきてラジオで外の様子を聞いて大変なことになっていることがわかった。
電気が切断され、火気厳禁の寮はすべて電気。暖房、テレビ、電話、普段聞いているラジオですらコンセントが切断されてしまえばただの箱。唯一乾電池が入っているラジオを持っていた後輩1人のおかげで外の状況や地震情報が聞けた。
寒くて電気が通るまでは布団から出られない。でもいつ余震が来るかわからないので洋服を着こんで靴下も履いていつでも飛び出せるようにしていた。枕元には保険証と現金。
でも、実際お金があっても使い道がない。物がなくなりすべての綱は「備え」だけ。
このとき初めて「備えあれば憂いなし」という言葉を痛感した。


我が家には防災グッズがちゃんとある。でも、ひとり分。いつかパートナーの分も買わなくちゃ。←この防災グッズはあくまでワタシのもの。


今日も一日レッスンでいい疲労感。
家に帰ったのも21時30分。
ごはんを食べ終わって台所を片付け終えた時には23時だった。
キッチンを吹き掃除して思わず「やっと1日が終った」とぼやいたのをパートナーは笑っていた。
だってほんとだよ、仕事が終ってから家に帰ったら今度はごはんを作るという一仕事があってさ、作ったものも食べたものも片付けてさ、一息つけたのが23時って。そりゃぼやいてしまうさ。ほっといておくれ。

それを見かねてか、「明日の朝ごはんのお米と儀はやってあげるよ、お風呂入っておいで」と言ってくれた。